フォーク屋「あめけん」

懐かしい曲と想い出、そして現在を思いつくままに…

パパ080804   レレレ080804 おまわりさん080804

これではよくないのだ。また一人、昭和が消えてしまったのだ。2日、赤塚不二夫さんが
亡くなられたのだ。天国へお出かけするなんて、賛成の反対だから即刻タイホするのだ!
「おそ松くん」でブレイク!おそ松とチョロ松その他の区別がつかないままだったが(笑)。
そのあと少年マガジンで1967年から連載した「天才バカボン」。人気に火がつき、ついに
TVに登場したのが1971年のこと。当時の我が家ではこれがバカ受けして、家族全員が
このアニメの大ファンだった。ボクは日本の、いや世界のギャグマンガの中で間違いなく
この「天才バカボン」が最高傑作だと思う。作者の下の名前が漢字含めてまるまる一緒
ということも、惹きつけられた理由かも知れない。よくもまあ、あんなに個性的なキャラを
考えられるもんやなあと思うのと、環境設定が面白すぎるわ。バカボンのパパは年齢は
41歳とされているが、生れたのは昭和元年12月元旦、雪の降る真夏の夜の昼らしい?
熊本の中学卒業後にバカ田高校⇒バカ田大学へと進み、首席で卒業。ママは黒百合
女子大学卒のなぜか美人、バカボンはいつも着物を着ているし、ハジメちゃんは天才!
電気屋のおやじのレレレのおじさんやピストル打ちまくる目のつながったおまわりさん。
天才バカボンのキャラではないけど、イヤミの「シェー!」なんて今だにやってるもんな。
当時はそのユニークなキャラを自分でもよく書いたりしてた。今でもほらそこそこでしょ?
バカボンパパがよく「国会で青島幸男が決めたのか?」と言ってたけどその青島さんも
すでに天国。今頃は赤塚不二夫さんも「タリラリランのコニャニャチワ」と元気に挨拶を
してるのかな。「笑う」という元気をくれたことに感謝するとともにご冥福をお祈りします。
バンパイヤ

今日7月17日は「漫画の日」だ。手塚治虫先生の命日、2月9日も同じ。
実はボクは幼い時からマンガ…というより絵を描くのがすっごい好きな
子供だったらしい。愛媛県の田舎で5歳迄暮したんだけど暇さえありゃ
尖った石で庭の地面に絵を描いてたと…。京都に移り小学校に入ると
益々エスカレート。なけなしの小遣いはたいては近所の文具屋へ行き
今から思うとB4サイズの藁半紙を20枚くらい買って、それを二つ折り
して右側をホチキスで綴じ、まず表紙を描き次のページから1コマずつ
物語を描いていってた。そのほとんどがパクリだったけど本物とは違う
ストーリーを考えていた。写真にある手塚治虫先生の「バンパイヤ」も
大好きで番外編を描いた記憶がある。だけどどれもこれも一切残って
いないのが残念!あとはロック屋さんは覚えているかも知れないけど
ヒーロー物のパロディで「爆笑ウルトラマン」とかも描いたな。内容は
覚えていないけど。一時はおぼろげながら漫画家になりたいと思った
事もある。勿論マンガだけじゃなくていわゆる絵画も好きやったなあ。
ロック屋も絵がうまい。またその子供もメチャ上手よ!最近、絵なんて
描いた事ないけどたまには天気のいい日にチビと写生でもするかな!
バカボン

春に浮かれてしょ〜もない話題を一つ。その昔3回生から悪さ企み?
舞子でアパート暮らしを始める前、KUCに西宮から通学してたのだ。
三宮からJR神戸線に乗り大好きな須磨〜塩屋の海の景色見ながら
通ってたのだ。記憶が定かでないが塩屋から垂水間のどっかの家の
屋根に「天才バカボン」の絵が書かれてたのを電車の窓から見ること
できたのだ。JRのすぐ左手だったからほんの一瞬見えるだけだった
けど…。大阪方面から通ってたあめけんの方、ご存知ないっすかね。
この前、西明石へ行くことがあり、ふっと思い出して今もあるかどうか
確かめようとしたけど、時間なく新快速に乗った為わからずじまい…。
それがどないしてん!ということやけど、昔わが家は「天才バカボン」
ファン。ロック屋さんはどうやったか?主題歌は、特におやじが好きで
1番「西から登ったお日様が(浪曲調で)東〜へ沈〜む」2番「柳の枝に
猫がいる、だから猫柳〜」そして3番かな「がけから落ちてケガをした
だから〜がけなの〜だ」。たしか5番くらいまであるけど忘れたのだ。
今度、新快速でなく快速電車で確かめようか。うん!これでいいのだ!